東犬西犬本來是白犬 統統改名叫莒光
(東犬・西犬はもともと白犬 改名して莒光と呼ぶ)
フェリーで南竿島に到着する直前、船内で流れるこの歌。
かつて馬祖で兵役を過ごした人々は、この一節を聞くと当時の記憶がよみがえるといいます。
ここで歌われている「東犬」「西犬」「白犬」「莒光」は、単なる地名ではありません。
それぞれが、馬祖列島の地理、歴史、そして時代を超えて受け継がれた精神を象徴しています。
なぜ「白犬」が「莒光」と呼ばれるようになったのか――その背後には、中国古代の故事「毋忘在莒(むぼうざいきょ)」と、蔣中正(蒋介石)の影響があったようです。
白犬とは
現在の馬祖列島の南端には、東莒島と西莒島という二つの島があります。
これらはかつて、あわせて「白犬島(はくけんとう)」または「白犬列島」と呼ばれていました。

福建省の『中国古今地名大辞典』(1982年)には、次のように記されています。
「白犬島は福建省長楽県の東方、海上に孤懸し、東沙と並ぶ二島である。近代の地図では白犬を西犬、東沙を東犬と称し、総称して白犬という。」
つまり、白犬とは一つの島を指すのではなく、東莒島と西莒島の二つを合わせた総称でした。
地図上で見た形が伏せた犬のように見えたことから「白犬」と呼ばれたとされています。
東犬と西犬への分化
のちに、白犬という呼び名は島ごとに分かれ、東側が「東犬(東莒)」、西側が「西犬(西莒)」と呼ばれるようになりました。
文献の中には「西莒最早稱白犬,舊名西犬或西肯」と記されているものもあり、一時的に西莒島が「白犬」と呼ばれていたこともあります。ただし本来の「白犬」は、東莒・西莒の二島をまとめた呼称でした。
- 東犬(東莒島):美しい灯台と古跡が残る静かな島。福正村と大坪村があります。
- 西犬(西莒島):行政の中心で、かつては「小香港」と呼ばれるほど商業が発展しました。青帆村が主要港です。
この二島は地理的にも文化的にも密接な関係を持ち、やがて「莒光郷」として一つの行政区域に統合されます。
莒光の名と「毋忘在莒」
「莒光(きょこう)」という地名は、中国古代の故事「毋忘在莒」に由来します。
戦国時代、斉の国が燕に滅ぼされた際、太子・田単が「莒城」という小さな町に逃れ、そこを拠点に国を再興しました。この出来事から、「毋忘在莒」は「苦難の時を忘れるな」「再起の志を持て」という意味を持つようになりました。
この言葉を国の精神的スローガンとして掲げたのが、当時の中華民国総統 蔣中正(Chiang Kai-shek/蒋介石) です。
1949年、国共内戦で中華民国政府が台湾へ撤退したあと、蔣中正は「毋忘在莒」を掲げ、
「いつか本土へ帰る」という信念を国民に訴えたとか。その象徴として、福建沿岸の最前線にある馬祖列島の行政区名を、「白犬」から「莒光」へと改名したのです。
改名は1971年10月15日に正式に行われ、当時の総統は蔣中正でした。このとき「莒光」という名には、「信念を絶やさぬ光」「再起への希望」という意味が込められました。蔣中正の政治理念と「毋忘在莒」の精神が、島の名に直接刻み込まれたのです。
莒光という言葉の広がり
その後、「莒光」は軍の象徴的な言葉として台湾社会に定着しました。台湾軍では、兵士教育の日を「莒光日」、思想教育を「莒光課」と呼びます。どちらも「信念」「忠誠」「精神的再生」を意味する活動であり、蔣中正時代の国家理念が今もなお文化として残っている例です。
つまり「莒光」は、単なる地名ではなく、国を失っても希望を捨てない――その精神の光を表す象徴的な言葉なのです。
歌詞の意味
東犬西犬本來是白犬 統統改名叫莒光
この一節は、地名の変化を通して、「かつて白犬と呼ばれた島々が、信念の光“莒光”として生まれ変わった」という意味を持っています。
それは単なる地理的な説明ではなく、「毋忘在莒」の精神を詩として表したものです。
戦乱の時代にあっても、希望と信念を持ち続けた人々の思いが、この一行に凝縮されています。
島の名に刻まれた記憶
東犬、西犬、白犬、莒光。
これらの名の移り変わりは、馬祖列島が歩んできた歴史そのものです。
かつて白犬と呼ばれた小さな島々は、蔣中正の時代に「莒光」という名を与えられ、
「過去を忘れず、信念を持って未来へ進む」という象徴となりました。
フェリーの中でこの歌を聴くとき、人々が感じるのは郷愁だけではありません。そこには、時代を超えて受け継がれる「信念の記憶」が息づいているのです。
